【ROUND 3】
遥かシルクロードを経て。
東洋と西洋の文化が合流し、東西どちらの色も混ざり合う独特の文化を作り上げた国、トルコ。
首都イスタンブールの市場には、現代においても東西の文化の結晶ともいえる品々が混在するように立ち並び、集う人種もまた無国籍な風貌の顔立ちが多く見られる。
戒律の厳しいイスラム国家において、初めてモータースポーツへの誘致を行った事で当時は随分と話題に上ったものだった。
MOTO GP第3戦 トルコ・イスタンブールサーキット。
東西を結ぶ、世界でも有数の中継国家の首都の名の下に、今最高峰レースの幕が上がる。
予選2日目。
前日までのフリー走行の結果順にタイムアタックを繰り返し。
明日の本戦に向けての、熾烈なポジショニング争いが激化するこの日。
チーム・フラメルのピットの裏手に走らせていたミニバイクを停め、穏やかな表情でその裏口を潜った人物は、チームにとっても最早馴染みの姿だった。
「こんにちは」
「おぉアル、元気か?」
「はい、って、昨日も顔合わせたじゃないですかジャンさん」
「そうだった」
にっかりと、澄んだ青空に似た瞳で笑う青年に対峙したのは、静かな口調と表情に似合う穏やかな金茶の髪と瞳を持つ、まだ少年と云ってもいい年頃の人物である。
「ポール獲れなくて残念だったな」
「えぇ、ちょっと排気バランスに偏りが出ちゃいまして。調整が間に合いませんでした」
薄っすらと苦笑をこぼす顔立ちは酷く整っており、成長期特有の線の細さはあるものの、この少年が今125ccクラスで新進気鋭と呼ばれる、将来有望な若手ライダーの1人であるのは有名な話だった。
常に優勝候補の一角を担う一流バイクメーカー、『HOMMA』。
ジャンの所属するチームのマシン供給をも担っている、メーカー本社の運営するワークスチーム。
その125ccクラスにおいて、若干17歳でありながらエースライダーの称号を有しているのが、この少年である。
アルフォンス・E・カーティス。
チーム・フラメルのサブチーフメカニックであるエドワードとは、1歳違いの血を分けた実の兄弟でもあった。
「それでも予選3位は大したモンだよな、ホント」
「一杯一杯ですよ、これでも。で、今ウチのメカニックが皆殺気立っちゃってて。仕方ないから『奥の手』をお借りしに、来ました」
にこりと、幾分あどけなさをまといつつも、厳しいレースの世界に身を置く者独特の芯の強さを併せ持つ、精悍さを漂わせながら告げるアルフォンスに、向き合う青年もまた劣らぬ逞しさを湛えた顔で笑う。
「あ〜…大将かぁ。ウチもさっきまでかなり殺気立ってたぜ?今はもう落ち着いた…か?多分…」
まだこの後にタイムアタックを控えているジャンは、レース用の繋ぎのまま一服を燻らした。
反して既に予選を終えているアルフォンスの格好は、オフィシャルのポロシャツにハーフパンツという軽装。
前レースのカタール同様、ここトルコもこの時期の日中は、半袖で丁度いいくらいの気温である。
「明日は決勝ですからね、どのチームも殺気立ってて当然かと思うんですけど」
そういうアルフォンス自体はあくまで穏やかな表情を崩さず、どこまでも柔らかな笑顔を浮かべていた。
元から負の感情を表に出すのが滅多にないアルフォンスであったが、幼くともプロのライダーとして感情をコントロールする術を、日頃から身に着けているのだろう。
感情の乱れはレースに悪影響を及ぼす。
高揚感や程よいプレッシャーならば問題ないが、常に時速200kmオーバーの世界で、いざ事が起こった時に頼れるのは己の咄嗟の判断力と反射能力。
命の危険と常に隣り合わせな非情な世界を生き残るためには、レース中どんな事態に陥ろうとも、冷静で迅速な状況判断が求められるのだ。
そしてどんなに過酷でシビアな状況であっても、それを笑い飛ばせるほどの豪胆さ。
並の神経の持ち主ならば、3日と持たないこの特殊な世界において。
実数200人にも満たないGPライダー達はある意味、選ばれた精鋭といっても過言ではなかった。
「ワークスの威信に掛けて、負ける訳にはいかないからなぁ。奥の手でも孫の手でも借りたいのが本音だろう?」
「そう、なんですよねぇ、正直」
クラスこそ違うが、ジャンもアルフォンスも同じメーカーのチームに在籍している。
だがメーカー直轄のワークスチームの一員であるアルフォンスと、サテライトチームであるジャンとの1番の大きな違いといえば、やはりその身に負う多大なる重圧の差だろう。
この最高峰レースにおいて、いついかなる時でも優勝候補の筆頭に名を連ねるビッグメーカー、『HOMMA』。
サテライトと同じマシンを使用していても、そのパーツやシステムはメーカー直系運営の強みでもって、常に最新の機器が投入されている。けれど最新のものであればこそ、実戦での経験値不足が否めずそれ故不安定に陥りやすい。
「今回足回りと排気筒を一辺に変更しちゃったもんだから、全体の重量バランスが狂っちゃったらしく、もうホント今お手上げです」
本職であるメカニックには敵わないが、ライダー各自もマシンの事に関しては一通りの知識は持っているのがこの世界の常識だった。元々がバイク好きが高じてライダーを目指した者が多いのだから当然といえば当然なのだが、実際にマシンを走らせ、その不具合をいち早く見つけそれを如何に正確にメカニックへと伝達出来るかは、優良ライダーの目安ともなっている。
そういう点でいえば、一流メカニックを兄に持つアルフォンスは非の打ち所のない優良ライダーの1人でもあった。
「サスペンションと排気筒か。前後のバランスが崩れたのか?」
「というより、排気筒にかかっていた重さを軽減したら、サスに残した重さが不安定になってしまって」
マシンの上半身をホイールとの間で支えるサスペンション。そこに重さが残る事は前輪が浮きやすいパワーエンジンを持つGPマシンには必須だったが、余りに後ろが軽くなってしまうと今度はハイサイドを起こしやすくなり危険度が跳ね上がる。
アルフォンスの説明は無駄がなく的確で、ジャンもすぐに状況の一端が飲み込めた。
「本番は明日だってのに、面倒な事になっちまったな」
「そうなんですよ」
溜息をこぼしつつも苦笑で紛らわすアルフォンスは、そのトラブル解消のためにどれだけの人員が今必死になっているかを充分理解していたので、怒りも焦りも何1つ顔に表すことはない。
17歳とは思えぬ落ち着きぶりに、ジャンはいたく感心の眼差しを向けるのだった。
「ところでジャンさん、こんなのんびりしてていいんですか?」
これからMOTO GPクラスは2日目の予選に入るはず。
にも関わらず、まるで観戦に来た者のようにのんびりと煙草を吸う姿は酷く茫洋としていて、とてもこれから世界中が注目している最高峰レースの、決死の予選に入る者とは到底思えない素振りである。
アルフォンス自身も多少ならず、自分の沈着さには自覚があったが、緊張やプレッシャーを一切感じさせない、大らかな空気がそこだけ漂っているかのような一種独特な茫洋感をまとうジャンの雰囲気に、知らず詰めていた肩の力がすとんと抜け落ちるような、そんな不思議な感覚を味わった。
「ジャンさんって、本当に…」
「ん?」
「あ!こんなトコにいたっ!予選始まるから待機してろって、あれほど云ってたの聞こえてねーのかもうっ!」
アルフォンスの声音を遮るように、裏口に近い通路一杯に低めのアルトが響き渡る。
表のパドックからの扉を抜けて薄暗い通路に差し込まれたのは、目にも鮮やかな金色の光だった。
「大将、予選前の一服だって」
「一服って云いながら、何本吸ったら気が済むんだあんたはっ?!」
汗ばむ陽気に白い頬を紅潮させて、光の束のような金糸を揺らして駆け寄ってくる小柄な肢体を、青瞳の奥に隠しきれぬ愛おしさを浮かべて迎える。
「って、アル?どうしたんだ、こんなトコで?」
そんな暢気な青瞳の持ち主に、更にきつく金瞳が眇められる瞬間、その隣にいた自分に良く似た金茶の光を見つけて、エドは金の視線を驚きに変えた。
「監督と師匠に『奥の手』を借りる許可を貰いに。そしたらジャンさんと話し込んじゃったんだ。だから兄さん、ジャンさん引き止めちゃったのは僕のせいだよ、ゴメンね」
にこっと邪気なく笑う顔に、エドの表情にも仕方ないという色が浮かぶ。
基本弟に甘い兄の自覚があるエドにとって、アルフォンスの笑顔に逆らえた例しは1度だってない。
自分が悪かったのだからジャンを責めるなと、穏やかな笑顔で押されてしまえば、不承不承頷くしかないエドだった。
「分かった、とにかくあんたは早く支度しろ。んでアル、お前はこっち来い。監督に話なら表で予選終わるまで待ってろ」
チーム・フラメルの監督シグや、チーフ・メカニックであるイズミ、この2人は兄弟達にとっては育ての親だ。
籍も入れてあるのだから正真正銘家族と呼んで差し支えないのだが、公私混同を嫌うイズミの方針に従って、公の場では肩書き以外でその名を呼ぶ事は決してない。
だが普段の生活からレース三昧な兄弟にしてみれば、あの2人を父さん母さんと呼ぶ事自体が滅多にない事であった。
シーズンが終了し、次のシーズンのためのテスト期間に入るまでのほんの1ヶ月。
普通の家庭らしい穏やかな団欒は、そこで毎年培われていた。
そんな生活を苦だと思った事はない。
名を呼ぶ事が全てではなく、互いに支え合い、信頼し、同じ世界に身を投じて常に存在を感じ取れることが、何より大事な互いを大切と思う心の在り処が重要だと、エドもアルフォンスも理性ではなく心の奥でしっかりと、学び取っていた。
それこそがイズミやシグが、マシンの構造やライディング以上に、兄弟に与えてくれた一番大きな恩恵であり愛情であるのだと、教わる前に2人はしっかりと理解していたのだった。
「っし!んじゃ行ってきますか」
その背高な肢体を伸ばして小さく呟いた意気込みにも、決して気負ったところなど欠片も感じられず。
晴天を切り取ったような青瞳の奥には、競争心と呼ぶには余りに楽しげな。
真剣ではありながらもどこか人を食ったような朗らかさが、抜けるほどの青さをより鮮明に輝かせていた。
レース直前であろうと、合間の休憩時間であろうと、この青年の浮かべる笑みはいついかなる時でもその穏やかさを崩す事はなく。
それがどれだけの強い自制心の成せる業なのか、同じ立場でその凄さを身をもって知るアルフォンスは心密かに感嘆の息を吐いた。
緊張がない訳ではない。
過去に馳せた名声に驕らず、その名の持つプレッシャーを負とも思わない。
いや、思わせもしないその大らかでしなやかな強さこそが、この青年をどのライダーより一層前へと進めている。先んじて前を走る事に似合う風格を作り上げているのだ、と知る事となる。
同じ道を行く、だがしかし遥か先達者である青年の大きな背中を、感慨深げに黙って見送っていたアルフォンスに唐突に振り返った青瞳が、その時ちょいちょいと指先だけで手招いてきた。
「ジャンさん?」
「アル、耳貸せ」
兄よりも背に恵まれたアルフォンスであっても、ライダーにしては体格の良いジャンからすれば拳2つ分ほどまだ低く、少しだけ屈んで耳元に囁かれた言葉に対し、一瞬驚きを浮かべた金茶の瞳はだがゆっくりと、綻ぶような笑みを浮かべるのだった。
「……はい、ありがとうございます」
ジャンの1歩前を歩んでいたエドにはその声は届かず、後に続く気配のないのに振り向いた先で笑みを交わしていた2人を目にし、ことりと首を傾げた拍子に甘く揺れる金色の毛先。
陽の色より更に鮮やかな光の持ち主が口を開くより早く、ジャンはその背を追い越して足早にパドックへと向かっていってしまう。
当然残された兄弟のうち、密かに漏らされた言葉を噛み締めるように笑んでいた弟は、兄の不審気な金色の視線をどうかわそうか思案に噤んだが。
ふと思いついた言の葉を届けるべく、その隣りに歩を進めた。
「アル?どうした?」
「ん〜…何か兄さんの気持ち、分かった気がする」
どちらかといえばきつい眼差しのエドワードと穏やかな雰囲気のアルフォンスは、ハボック家の兄妹達に比べて、よく似ていると称される兄弟ではない。
けれど互いが互いを思いやるような暖かい空気をまとった時に表れる和やかな表情は、やはり血の繋がりを濃く刻む秀麗な色に彩られているのだった。
「俺の気持ち?」
「うん。兄さんがね、何でジャンさんに魅かれたのか、何だか僕、分かっちゃった」
幼い頃のように無邪気めいた、からかい混じりの声音にエドの金瞳が見開かれる。
「なっ…急にどうしたんだよ?」
隠そうと努めていた訳ではないが、エドとジャンの間に流れる家族が持つのとは微妙に異なる親密な空気に、聡い弟が気付かぬはずもなく。けれどあえて言葉で説明する事もないまま、互いに明言は避けて暗黙の内に互いの距離感と関係性を築いてきた。
エドにしてみれば、たった1人残った肉親であるアルフォンスに、この関係を上手く説明出来る自信もなく、かといって自分がこの世界で何を心の拠り所として今まで努力を重ねてきたかなど、片時も離れず傍にいた弟が知らぬ訳でもないと、内心複雑な思いに捕らわれながらはっきりとした言葉は口に出来ないでいたのだった。
いつかそう遠くない頃に、この関係をはっきり問われる事が怖いような懼れのような、懸念を持っていたのだが。
そんな杞憂を吹き飛ばすアルフォンスの台詞がただ、エドには不思議だった。
「僕はライダーという仕事に誇りを持ってるし、自分を支えてくれてる人達も大切だと思ってる。だから僕に出来る事は全力で取り組みたいし、どんな義務も負う覚悟は出来てるつもり」
突然なアルフォンスの声音はどこまでも真摯で、一見何の繋がりもないように思える話の流れだったがあえてエドはそれを止めることなく、静かに聞き入る仕草を見せる。
「支えてくれる皆の期待に応えるよう、走って結果を出す事が使命なのも分かってる、つもりだった」
その重い期待に耐えて、若輩の身ではあっても世界の大舞台に立つ信頼に応えるだけの実力を伴えば、いつかあの大きな背中の持ち主のような、優れた名ライダーと呼ばれるほどの存在になれるのだと、信じて疑っていなかった。
けれども、
「それだけじゃ、ダメみたい」
自省というには余りに明るい声音に、耳を向けていたエドの方が驚かされる。
それでもアルフォンスの言葉を最後まで聞き届けようと、無言で先を示す金瞳に謝意の眼差しを向け、金茶の瞳をレース場の上に広がる青空に向けて、憧憬の視線を送った。
「信じるのもライダーの役目だ、って云われた」
「信じる?」
「うん。裏で頑張ってくれてるチームスタッフやメカニック、監督やマネージャー全ての人達。その力を信じるのも、ライダーの大事な仕事なんだね」
貰った言葉は一言だけ。
けれどそこに加味された大切な言葉の真意は、聡明な頭脳の持ち主には全てを語らずともしっかりと受け止められていた。
自身の力で進むべき道を切り拓いてきた先駆者でありながら、しかし決してそこに自身を押し上げてくれた周りの全てに感謝することを忘れなかった、心優しく雄大な暖かさを持った青年が、同道を行く自分に託してくれた、忘れてはならない大事な大事な心構え。
ライダーとして、最も大切な意志の在り方を、その一言に全て刻んで。
「ジャンさんが兄さんの支えで、兄さんがジャンさんの支え。分かった気がするよ、凄く」
小さい頃から自慢の兄だった。
事故で身体が不自由になってしまっても、決して弱音を吐かず、誰より鮮やかな光をその稀有な金瞳に漲らせて。意志の強さと叡智に満ちた輝きを身にまとったその背中が、いつもアルフォンスには眩しく大きな存在だった。
その背を真っ直ぐに、凛と張り詰めさせる原動力が何なのか、ずっと知りたいと願っていた。
果たして。
それはどこまでも雄大で、高く広く腕を伸ばす青空の色を持つ、優しく精悍な人物だった事に深く安堵の吐息がこぼれるのを抑えられない。
時に奔放に、苛烈に輝く太陽の如き気性のこの存在に、それすら包み込む大空が相手ならばこれ以上の番(つがい)などあり得ないと、内心でしっかりと頷いてしまう。
「だからね、養父さんや養母さんが何云っても、僕は兄さんの味方だから安心して?」
「お……おう」
にっこりと慈愛の笑みを浮かべる弟に、エドは言葉に詰まる苦笑しか返せなかった。
『ヒトの弟あっさり手懐けやがって…どんな手管だよ、あの天然ヤロー』
ぼやく呟きを知らず、にこにこと上機嫌のままアルフォンスは言葉を続ける。
「だから兄さん、等価交換でこの予選の後、僕のマシン調整に来てね?」
「お前……ハナからソレが目的だったな?」
「違うよー、兄さんの腕、誰より僕が信じてるからだよ」
いとも善良そうな笑顔の金茶色の瞳を、呆れ半分こぼした溜息1つで、許容してしまう自分の甘さを深く苦笑うエドの柔らかなアルトだけが、通路の奥でひっそりと響くのだった。
2007/04/03 脱稿
Sawada Yukari Presents.
たいっへん、お待たせしておりまして申し訳なさ一杯の【Round-3】です;;;;;;
もう1年シーズン終わっちゃったよ……(汗;;;;;;
でもここでようやく、1番出したかったアルが出せてひとまず満足vv
こっちのアルはそんなに腹黒な事もなく(笑)兄さんとハボをひっそり応援する役割に回ってくれて、余りの優等生ぶりに安堵しました(笑)
小姑になったら目も当てられない……(←という案も実はあったり/苦笑)
あと記述内の『ハイサイド』に関しては、用語説明に載せてますのでそちらをご参考下さい。
今回は割りとレース用語多目になっちゃったので、ちと反省…
レース風景も書きたいけど、それよりハボとエドの会話が少ない事が1番の大反省しかるべきところでは…??;;;;;;;
すいまs…;;;;;
次回頑張ります……orz
*話中の『HOMMA』という名は、実在する某バイクメーカーの名前をもじらせて頂きました。
各社様には一切関係ない、フィクションでの命名ですのでご了承下さい。 |

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