【go all〜本文見本】
*お帰りは窓を閉じて下さい。
カナダ西部に広がる、アルバート州。
バンフ国立公園を臨む入口に位置する小さな町、バンフ。
そこは小規模ながらもカナダの誇る雄大なロッキー山脈を柱とする、一年を通じて観光名所としての名を馳せる、国内でも有数の景観に恵まれた地方都市だった。
国立公園の外れに位置するこの町は、敷地面積に比して居住民の数は驚くほど少なかったが、四季折々の自然に触れることの出来るこの場所は、常に観光客で賑わいを見せている。
夏は登山やハイキング、フィッシング、冬はウィンタースポーツや温泉といった、大自然を満喫できる恵まれた環境で栄えている町であった。
山裾から少し離れたところで山荘やアルペンロッジを営む人々の中には、この山に魅せられて他の地域から移り住んでくる者も数多くいたが、麓近くでその経営を許されているのは古くからここに根を張って暮らしている人々だけである。
そんな建物の1つ、伐り出した木々によって素朴でいてどこか重厚な深みを感じさせる年季の入ったロッジの裏手で、一人の青年が薪割りに勤しんでいた。
均整の取れた長身の肢体。
迫りくる本格的な夏の暑さに流れる汗を拭いつつ、見た目以上に重労働な作業に没頭する青年の瞳は、雄大なるロッキー山脈の背後に映える夏の壮大な大空によく似た、澄んだ青い色を有している。
短く刈り込んだ淡い金髪と、健康的に焼けた肌が精悍さを引き立たせている青年は、脇に積まれた丸太を一本台に据えて、おもむろに手にした斧を振り下ろした。同じ動作を二、三回繰り返し、薪として充分な細さに仕分けると、それを荒縄で手早くまとめる作業に移る。
しかしふと何かに気付いたように、縛っているその手を止め、ゆっくりと立ち上がると建物の脇から続く横道に足を向けた。
山に暮らす者は皆感覚が鋭敏になっている。
常人より鍛えられた五感が山の暮らしを助ける訳だが、そんな青年の耳に飛び込んできたのは、遥か過去によく耳にした覚えのある、耳をつんざく様なモーター音であった。
「…………この音は……?」
聞き慣れた、なんてものじゃない。
その独特の爆音に身を浸していた過去の記憶が一気にフィードバックするような感覚に、一瞬意識の全てが奪われそうになり、ふらつきそうになった身体を手近の壁に預けて、ロッジの正面に広がる道の最果てを澄んだ青瞳で睨みつける。
程なくして道の先端に姿を現したのは、間違いなく特有の排気音を持つ大型のオートバイ。
山のツーリングには不向きなレース車仕様の車体である事よりも、眼を射るほどに鮮やかな緋色のカラーリングが、山の濃い緑に映えて何故かとても新鮮な驚きに打たれた。
見る間に速度を上げて近付いてきたそのバイクは、ロッジの正面近くで減速し、驚きに目を瞠る青年のすぐ傍で見事に車体を切り返して停車する。
遠くに見ていた時は気付かなかったが、バイクに跨る人物は酷く小柄で、とてもこんな大型のマシンを操るようには見えなかったが、軽々と重量級の車体を切り返すその技量は並大抵の物ではない。
女性か?と思うほどに細い肢体は、夏であっても安全のためには欠かせない皮の上下に包まれていてその判断は付きかねたが、フルフェイスのヘルメットからくぐもって出された低いアルトの声音は、紛れもなく同性のものであった。
「ロッジ『veritas』って、ここ?」
発音は綺麗なクイーンズ・イングリッシュ。
だが口調はつっけんどんなまでの愛想のなさで、答える青年の声も不機嫌に曇る。
「あぁ、そーだよ」
だが一瞬後、客商売なのを思い出し、寄せた眉根を伸ばしてにこやかな笑みを貼り付けた。
「あ〜…っと、お客さん、かな?ロッジ『veritas』へようこそ」
家族ぐるみで経営するアルペンロッジで、青年は客をもてなす側の従業員に過ぎない。客に不機嫌なとこを見せたなどと知れたら、グリズリーよりも怖い父親の鉄拳が飛ぶ。
内心で冷や汗をかきながらも、青瞳の視線はどうしても目の前のマシンに注がれてしまうのだった。
大きなカウルとモンスタークラスと云われた最大級のエンジンを支えるシャシー。
山道用にか、タイヤはグリップの強いモトクロス仕様の物に変えられてはいるが、このマシンは間違いなく………
「やっと着いた…。ところでこれ、どこに置いたらいいかな?」
これ、と青瞳が見詰めていたマシンを指し、微かに振られた頭の先から光がこぼれる。
光の正体は、綺麗に編み込まれた金色の三つ編みだった。
青年のものより濃い色合いの鮮やかな金糸は、夏の陽射しに映える蜂蜜色で、一瞬だけ視線がそちらに引き寄せられた。
「聞いてる?」
「あ……っと悪ぃ、この反対側に駐車スペースがあるから、そっちに停めてもらえれば」
「そ。サンキュー」
一旦は止めたエンジンを吹かし、去り際軽く振った動作で、ヘルメットのバイザーを跳ね上げて覗いた鋭いまでの金色が、青瞳の瞳にひたりと当てられる。
「あんた、ジャンだろ?ジャン・ハボック・Jr。……俺はあんたに、逢いに来たんだ」
心の奥にまで届くような鋭いその輝きが、その人物の瞳が浮かべる光なのだと気付いた時にはもう、マシンは高らかな音だけを残して建物の影へと姿を消していた。
ふと走り去るその小柄な後姿に覚えた微かな違和感は、自分の名を名指された驚愕で儚く消える。
「あいつ…………何者だ…?」
自分の事を知る人間は自惚れでなく意外に多い。過去に築いた輝かしい戦歴を懐かしんで、ここを訪ねてくれるファンがいるのも事実だ。
だがあの瞳が浮かべる強い眼差しは、そういった思慕とは違う何かを秘めている気がする。
それに………青年―ジャンには何故かあの瞳に見覚えがあると思った。
髪の色よりも更に濃く鮮やかな光を点す、あの金色。
「………………………………どこで…………?」
呟く声は、山から吹き降りる風に乗って、小さい疑問の種と共にジャンの胸に落ちていった。
「ジャン兄、薪割りお疲れさん」
「ジョー、宿泊者名簿見せろ!」
労いをかける弟の声にも頓着せず、受付に立っていたジョセフから手元のノートを引っ手繰るように奪う。
「何だよ兄貴、機嫌悪ぃなあ」
「るっせー」
ぼやく弟の声も何処吹く風で、奪ったノートから目当ての名前を探し出した。
「これか?……エドワード・E・カーティス……………カーティス?」
その名はジャンのとある記憶を刺激する。
「なあ、その人、あのキング・シグと関係のある人かな?」
ジョセフの呟きは、そのままジャンの思い至った事と同じであった。
「…………さあな……」
返した言葉は曖昧であったが、あのマシンを見た後ではジョセフの意見は正当なものだと感じる。あれはそこらの素人が乗る物でも、ましてや簡単に乗りこなせる物でもない。
レプリカモデルかとも思ったが、あの後薪割りの仕事を終え、駐車場に停められていたマシンをじっくりと眺めて、己の予想が当たっていた事をジャンは知った。
巧妙にカモフラージュされてはいたが、あれはやはり正式なレース車に間違いない。
しかも恐らくは最新鋭の機器が搭載されている、本来なら門外不出のはずのワークスマシン。
世界でもトップクラスに名を連ねる日本が誇るバイクメーカーの老舗『HOMMA』の、表に出す事が許されないトップシークレットのマシンだった。
「何であれがここに………つか、あいつホント何モンだ?」
湧いて出た疑問に答える声音は、思いの外近くから返された。
「気になるんなら、乗ってみれば?」
受付の傍に続く階段から降りてきたアルトは、軽い足取りで受付の机を挟んで対峙する二人の青年を、面白げに見上げる。
「兄弟?よく似てる」
それが癖なのか、傾げた小首につられて長めの前髪がさらりと揺れ、その間から穏やかな光を浮かべる金色の瞳が、青と緑の瞳を交互に見つめていた。
「エドワード・カーティスさん?ようこそ『veritas』へ。弟のジョセフ・ハボックです。こっちが兄のジャン・ハボック・Jr」
「一週間ほどお世話になります。さっきここにいたのは、妹さん?」
「はい、妹のジュディです。家族経営なもので、何か用がありましたら気軽に名前で呼んでやって下さい」
長身の兄弟二人と並んで立つと、エドの身体は思ってた以上に小柄に映る。
しかしジャンの肩に届くかどうかくらいの位置で輝く金糸は、それでもここにいる誰よりも鮮やかな光を含んで煌めいていた。
「アットホームでいいトコだねここは」
「有難うございます、それだけが取り柄ですから」
和やかに談笑を続ける二人からは笑みがこぼれ、先程の射るような鋭い眼差しもその金瞳には浮かんでいない。
その光景に何故か飲み下せない小さな不快感を催して、ジャンは胸ポケットを探って煙草を取り出した。だが客の前で吸うのも躊躇われ、入ってきたばかりの玄関に向かって踵を返そうとしていたその足を止めたのは、ジョセフの言葉だった。
「後2時間ほどで夕食になります、それまで外を散歩されては如何ですか?案内なら兄がしますから」
「あ?」
呼ばれて振り返れば、愉快そうに母親譲りの緑の瞳を細める弟と、何だか不思議そうにこちらを見返す金瞳に出逢う。
「父の次に山に詳しいのは兄ですから」
「確かお父さんも、ジャン・ハボックさん、だよな?」
「はい、だから父の事はマスターとでも。あ、で僕はジョーでいいですよ」
にこやかに告げる顔は人好きするほど穏やかで、つられるようにエドの顔にも笑顔が浮かんだ。
「んじゃ俺はエドでいいよ、俺の方が絶対年下だし。…案内頼んでいいのかな?」
「はいどうぞ」
案内するのはお前じゃないだろ!とツッコミの一つでも入れたいところだったが、ふわりと見せたエドの笑みが酷く目を惹いて、ジャンは黙って外を指す。軽い頷きで傍によって来たエドと二人並んで外に出ると、山の早い日暮れはもう辺りを薄っすらと紅く染め始めていた。
「あ〜、空気が綺麗で生き返るな。のんびりするにはもってこいの場所だ」
しなやかに伸びをする姿が何だか子供のようで、ついジャンも笑ってしまう。
「何にもないトコだけどな、ただ空気と水はウマい。自然は手付かずで勇壮だけど、舐めてると痛い目を見る。何にもないけど、全てがあるトコなんだよここは」
「あぁ、だからか」
隣りでくすりと笑んだ顔は、きつい眼差しが薄れると秀麗に整った顔立ちが際立って、一層視線を惹く色を乗せていた。
中性的な美貌とでも云えばいいのか。
男にしては珍しい長い金糸と相まって、外見からは一瞬性別の判断に苦しむが、身体にフィットしたカットソーの胸元を見るまでもなく、初めて眼にした金瞳のきつい眼差しは同性の証だった。
まだ少年とも呼べる少々幼い顔立ちではあっても、他に類を見ない稀少な金色の瞳に浮かぶ理知的な輝きが、年にそぐわない大人びた雰囲気をまとわせていて、実年齢が測れない。
「何か気付いた事でも?」
それでもジョセフに云った言葉が本当ならば、自分にとっても年下のはずと思い、客相手なのだという事は既に念頭になく、ジャンはいつもの調子で会話を続けた。
それが何故かとても心地好かったから。
「ここのロッジの名前。変わってんなーと思ったんだけど、そーゆー意味なんだ」
対するエドも砕けた口調を気にするでもなく、会話に乗ってきた。
ぶらりとロッジの建物沿いに足を向け、並んで歩を進める二人の間に、先程の微かな険悪感は払拭されていて、静かに声を紡ぐ音だけが響く。
「『真理』って意味だろ?」
「よく分かったな」
「育ての親が博識でね、必要ないのにラテン語なんかも叩き込まれた」
屈託なく笑う顔は少年期特有の清々しさにあふれ、けれど聞き逃せない大事な一言が、その台詞に込められていた事に気付いた。
「育ての親?」
「あぁ、俺ら小さい頃親亡くしてっから、保護者代わりになってくれた人がいるんだ」
「まさかそれが…」
ふと初対面の人間がそこまで深い相手の事情を聞きだしていいものかと、ジャンは躊躇ったが、当のエドはそれを苦とも思っていないらしく、頓着することなく話を続ける。
「あんたも知ってるよな?シグ・カーティス。アメリカ人で始めてWGPでチャンピオンになった、キング・シグの二つ銘を持つ、あの人が俺の養父だよ」
…to be continued
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