【君という花:V】
『痛みだけなら2等分さ、そうさ僕らの色』
「…………あれは、どうした?」
「きちんと書類に眼ぇ通して下さいよ。出向申請受理の書類も提出されてますから」
執務机を挟んで相対する2人の青年の顔には、意味合いこそ違えど良く似た呆れのこもった表情が浮かんでいる。
「この山の中から、何時になったらそれが発見できると思う?」
「俺に聞かないで下さいって。またよくもまぁここまで溜め込みましたね?」
2人の間を分かつのは、普段の3倍は軽くあろうかという、うず高く積まれた紙の束だった。
「ではハボック中尉、口頭で報告を。今度は何処に行ったんだ?」
誰がとは言わずもがなだが、目の前にそびえるこの山を見てしまえば、あえて反論する気も起こらない。
「…………エルリック少佐は一昨日、西方司令部に出向されました。クレタとの国境沿いの周辺に、テロ組織の残党が潜んでいるとの情報が入ったので、それの確認と詳細を調査するためです」
「…………」
「尚帰還予定は1週間後となってます、以上」
いとも簡潔に報告を述べる背高の部下の顔に、胡乱な漆黒の眼差しが当てられた。
「………何すか?」
「………………つまり、また置いてけぼりを食らった訳だな?」
にやりと引き上げられた底意地の悪い笑みに、煮え返る腸をどうにかこうにか宥めて、座る上司を見下ろして告げる。
「これでも毎日電話連絡は受けてますから、無事なのは確認済みです」
「ほぅ………あの電話嫌いが随分律儀になった事だ」
返される嫌味も、理不尽なものだという認識はあるが、それに半駆するだけの材料を持たないハボックとしては、遣る瀬無く本来は自分の直属の上司が受けるはずのその言を耳に収めた。
「全く、軍に根を下ろして少しは落ち着くかと思えば、相変わらず忙しないのはもうあれの性分かもしれんな」
「そうっすねぇ」
「幾ら人手不足とはいえ、余り気軽に中央付けの少佐を駆り出されるのも困りものだな。少し地方司令部にきつく言い置くとしようか」
「そう……っすね」
一瞬だけ底光りした黒曜の瞳に、ハボックの背に冷たい汗が流れる。
辣腕で知られるこの若き将校の逆鱗に触れたが最後、本来なら消し炭の塊となることも比喩ではないと知っているからこそ、その矛先を向けられそうになっている地方支部の連中に哀れを催した。
才能に溢れ、腕っぷしも知能も申し分なく、それでいて佐官という身分に奢らない金色の少佐は、実は密かに軍内部で高い評価と人気を得ている。
過去に国の隅々を旅した経験がものを云い、未だ内情の荒れている地域からのオファーが絶えないエドの多忙さは、確かに1番ハボックが心得ていた。
テロ組織の壊滅、その情報収集、被害地域の復興と援助、そのどれにも高い成果を見せるエドの活躍は、軍属であった頃と比べてより一層その名を各地に知ら示していたのだった。
「彼の働き1つで、軍に対する一般人の見方が好意的に変わるというのだから、軍としても利用しない手ではないというのも、分かってはいるが」
こぼされた低いテノールに込められた微かな苛立ちは、玩具を取り上げられて拗ねる子供のような無邪気さがいっそ、怖ろしいと感じる。
「縛るつもりもないし、誰かがアレを必要とするのを止めるほど狭量な訳でもないが、いささか面白くはないな」
感情の見えない黒曜の輝きは、何時にも増して冷淡に言葉を乗せ、軍の誰かにというよりも、はっきりとその視界に青瞳を映し込んで続けられた。
「………アレは、私のモノなのにな」
手離すつもりはない、との宣言は前にも聞いた。
だがこうもはっきりと宣戦布告紛いに告げられるのは、ロイの心の裡で余裕と焦燥がせめぎ合っているためなのかどうか。
それを知る術はハボックにはなかったが、口元だけで笑みを形作る端整な上司の顔を見据える空色の瞳にも、真摯な想いが普段の穏やかさを払拭して鋭く浮かび上がる。
「牽制……っすか?」
「何もお前に云った訳じゃない」
「言葉遊びは余所でして下さいよ、俺じゃ役不足でしょ?」
「では尻尾を巻いて立ち去るか?」
眇められた黒曜の奥。
口元に残る笑みとは裏腹に、そこには物騒なほど殺気を増した蒼い焔が静かに揺らいでいた。
きっと答えを誤れば、躊躇わず業火と呼べるほどの攻撃が来る事は必死だろう。
「俺はあんたと、同じ土俵に上がるつもりはないっすよ」
「……ほぅ…?」
逃げる事も闘うことも選択しなかったハボックの言葉に、ロイの瞳が上がる。
「それを選ぶ権利はあいつにある。俺がどうこう云える立場じゃないっす」
「随分と弱気な言い草だな」
「そうですね。ただ傍を離れる気はない、それだけのことです」
エドが誰を選ぼうと、誰を想おうと、もうその傍らから離れる選択肢はハボックにはない。
護ると誓った。
ずっと傍にいる覚悟を決めた。
ならば自分に出来ることは、ただエドを想い、その身を案じて包み込むだけ。
傷付ける全てから本当は身を賭して庇いたいけれど、それはきっとエドの誇りを切り裂くから。
誰よりも強くあろうとするあの精神こそが、何より彼を輝かせているのだから、その輝きが曇らぬよう見届ける事が、自分に出来る精一杯の想いの証。
「お前に、アレを救うことなど出来んぞ?」
「分かってます。けどそれはあんたも一緒でしょう?」
間髪入れずに返った言葉に、ロイもまた思案気に言葉を切る。
「あんたは痛みを送る者、俺は癒しを送る者、……けどそれは何の慰めにもならない」
「あの歪みの前では、何もかもが無力だな」
「それでも…」
それでも、と、願いたいのだ。
よく晴れた大空、静まる無限の闇、太陽のように眩しい笑顔と、月のように照る深遠な眼差し。
何時からかと、問うだに無駄な事は分かっていても、繰り返す自問に答えはない。
始まりからか、初めからか、気付いた者は誰もいない。
けれど厳然としてそこに存在する金色の中の消せない闇は、酷く誰もの胸の裡を大きく揺り動かす。
激しい衝動と暗い欲望、そして何より傷付きたがる彼を護りたいと、相反する感情を持て余しつつも、それでも魅かれてやまない感情は、全て彼だけに与えられる。
正せない歪みであるならば、いっそ共に。
翻せない闇の中でも、僅かな眠りを。
幸いと呼ぶべきものは、何処にも存在していなくても。
傍らにあって繋いだ手の先に残る熱は本物であると、何時か彼が気付く日まで。
「魅入られたな、私も、お前も」
「覚悟の上でしょう?見捨てる事が出来るくらいなら、初めから手出ししてませんよ」
それでも、魅かれたのだ。
その気持ちに偽りなどない。
例えようもなく孤高な光を宿すあの金色に。
孤独という闇にもがく光は、尚一層輝きを強くして周りを引きずり込む。
その光に惑わされた者達は、皆あえてその闇に自らを投げ入れてゆくのだ。
神に愛されてしまった彼は怖ろしいほど誰もの心を奪い、だが哀れなほどその想いに返す術を持たず。
痛みも熱も何もかもを受け容れて、受け止めて、それでもまだ足りないと嘆く心の闇は、彼に課された業だとでも。
「そこまで分かっているのなら……もう手加減はいらないな」
「………していたとでも?」
あからさまに付けられた所有印。
存在と主張を誇るように残されたあの噛み痕を見て、こちらの気を煽るつもりがなかったなどと云われたら、そのスカした顔に1発本気で拳を埋めてやりたいと思ったのは、ハボックの内心の本音であった。
「これからも末永く、恋敵殿」
「嫌がらせ以外の何者でもないっすね、それ」
おどけた口調に誤魔化していても、交わす黒と青の視線は1歩も引かぬ厳しさに満ちて。
「譲らんからな」
「譲りませんよ」
例えそれがどれほどの痛みと苦さを分け合う事になろうとも。
それすら全て、彼の糧になるのであれば。
何時も心に描くは、金色の眩しい至上の光。
それに囚われたのは愚かな、愚かなる……
『丘の上から見える街に咲いた君という花 また咲かすよ』
『兄さん今度は何時帰って来るの?』
「ん〜、次休みが取れたら考えるよ」
『考えるじゃなくて!次こそ帰ってきなよね?ウィンリィやピナコばっちゃんも心配してるんだから!』
「分かってるよ」
受話器越しに聞こえてくる弟の声は、以前聞いたものよりまた幾分、低くなったように思う。
「アル、その後何にも変わりないか?」
『ないよ。背も順調に伸びてるし、異常も変調も見られないし。兄さんいい加減心配しすぎ』
「バカ!あれだけの錬成の後なんだから、心配しすぎるってことはねぇよ!」
軍属で旅を続けていたその最後に、兄弟が行った大錬成。
周りの心配を余所に、それは彼らの旅の終了を告げる福音となった。
しかしそれは、兄弟にとっては別離の時。
誰よりも近くにいて、誰よりもずっと一緒にいた2人が、それぞれの道を歩き出す始まりの時でもあった。
エドは脳裏に、今は遥か遠い故郷で暮らす弟の顔を思い浮かべようとするが、それは旅立つ前に見た10歳の時の幼い顔に摩り替わってしまって苦笑する。
「あ〜…うん、そうだな、今度はきちんと帰るよ」
『ホントだね?兄さん前もそう云って、急に仕事が入って来れなくなっちゃったし』
「あん時は悪かったって。今度は絶対、約束する」
『約束だよ?』
穏やかな口調に変わりはないが、もう耳に届くその低い声音は、あの頃の幼い時分の欠片もなく、順調に成長を遂げているのだと思わざるを得ない。
失っていた時を取り戻そうと、驚くほどの速さで成長を続ける身体がとても不安な時もあったが、今はもう大分心と身体のバランスが取れたのか、酷く安定を見せるアルの様子がとても嬉しかった。
『兄さんこそ、無理してない?また任務とかで無茶してるんじゃない?』
「俺は大丈夫だって」
晴れやかに笑って告げるアルトは何時も通りの響きに変わりはなく、だからこそ一層心配なのだと、云いたい言葉をアルは受話器越しに飲み込む。
『待ってるから。休みが決まったらまた電話してね?』
「あぁ、分かってる」
『ハボックさんも連れてきたら?』
「うん?ん〜、出来たらな」
少佐であるエドと、その副官であるハボックが、2人揃って休暇を取れることはかなり難題だとは分かってはいるが、アルとしてもそこは譲れない1点であった。
『何時も兄さんがお世話になってるからね、きちんとお礼しなくっちゃ』
「お前………俺じゃなくってそっちが心配なんだろう?」
『当然でしょ?兄さんってホント世話が焼けるから、ハボックさんが心労で倒れないか何時も僕は心配してるんだよ』
朗らかに笑うアルの声にエドもつられて笑みを浮かべる。
旅の間中弟に焼かれた世話の数々を思い返してみれば、確かにぐうの音も出ないエドだったが、それ以上に言葉の裏に含まれた気遣いに気付けぬほど鈍くはない。
「上手く調整してみるよ。んじゃまたな」
『あ、兄さん』
「ん〜?」
『……兄さん……の…………』
そっと静かに受話器を下ろして、窓から覗く青空に視線を移す。
その金茶の瞳に灯る翳りは、生身の体を取り戻してからずっと、アルだけが知る心の痛みだった。
リゼンブールの澄んだ空気の中で広がる青い空は、兄の傍らに寄り添う青年の瞳によく似た、大らかで暖かな色に満ちている。
そして月と星を従えて、都会の空よりも濃い色を見せる夜空は、兄に焔を点したあの漆黒の青年を思い出させた。
同じ空であるのに、余りに違う色を醸し出すその様は、そのまま兄を包む2人の青年の心内を表すようでもあった。
焔を点し、痛みを与えて、生きるための強さを送る者。
温もりを寄越し、癒しを教えて、壊れぬための労わりを送る者。
彼らは何処まで気付いているのだろう。
それが全て、彼による選択の内であった事に。
真理を見た瞳。
アル自身には、失われていた間の肉体の記憶、そして人体錬成に挑んだ時の、真理に近付いた記憶そのものがない。
だから初めは分からなかった。
兄の心に巣食う、怖ろしいほど深い飢えた闇に。
恐らくあれはこの世の理を知ってしまった者だけが抱える、どうにも繕う事の出来ぬ心の歪み。
どんなに与えても満ちることを知らない飢えた心の闇は、貪欲に、いっそ傲慢なほどに、想いや熱を欲し続ける。
遠い空の果てにあるといわれる、何もかもを飲み込む深遠の穴のように深く何処までも。
1度真理に囚われてしまった者は、2度とその闇から抜け出すことは叶わないのだ。
ならばまだ、兄の心に、あの歪みはあるのだろう。
一生、死ぬまで続く永劫の闇を抱えて、それでもきっと彼は微笑うから。
誰よりも眩しい、鮮やかな光を湛えて、闇の欠片も見せずに微笑うと決めたのだから。
「それでも僕は、貴方の幸せだけを願ってる。たとえ……」
そう、たとえその為に捧げられた青年達の心が、どれ程の痛みにまみれようとも。
「貴方だけの幸せを………兄さん」
幸せの何たるかを奪われた者に、その願いが届くのかは神ですらきっと知り得ないことだろう。
それでも、願いは続く。
「あぁ、明日には帰る。朝1で報告に向かうと、あの無能に伝えておいてくれ」
受話器の向こうでは、心配性の副官が声を殺して笑っているのが伝わってくる。
「大したものは出てこなかったけどな。あ?大丈夫だよ、怪我1つねぇよ」
続きそうになるお小言をぞんざいに聞き流し、軍服の襟元を寛げて笑った。
「昔ほど暴れたりしねーって。帰りは夜になるから、先に寝ててもいいぜ?」
云ってはみたものの、きっとそれは叶わず、寝ずに帰りを待ち続ける青年のぼやく顔が眼に浮かんで、エドは密かに笑いを噛み締める。
「あぁ、じゃあまた明日」
受話器を置いた手で伸びた前髪をかき上げて、静かに金瞳を伏せた。
閉じた視界に浮かぶのは、何処までも青い空、そして深い広い夜空。
「離して、たまるか………」
どちらも手離せない。
きっとそれを手離してしまったら、心に巣食った闇は、自分の全てを喰らい尽くして、心を完全に失ってしまうだろう。
何時訪れるか分からないその恐怖。
けれど何処までも抵抗すると決めた時に掴んだ、2人の想い人。
「潰させやしない、俺もあんたも、あいつも………」
痛みは強さとなり、熱は力となると知ったその時から、失くせないものの重さを知った。
失くす恐怖に比べれば、揺れる心の苦さなど些細なもの。
だから今日も明日もその先も、両手に色の違う空を掴んで、笑うと決めた自分を嗤う。
「タチの悪いのに、見込まれた文句は、あの世で聞くよ」
世界を覆う大きさのそれを2つ、胸に大事に仕舞い、まだ足りないと嘆く闇に蓋をして、エドはゆっくりと身を横たえた。
その足元に忍び寄る真理に足払いをかけ、どんな事をしてでも生き抜いてやると誓った心は今もエドを輝かせ。
『……兄さん……の………兄さんの心は、何時か救われるのかな……?』
「心配ないさ、アル……救われなくとも、俺は生きてみせるから………」
薄っすらと刻む、歪んだ喜悦の笑みは、誰の眼にも酷く蠱惑的な魅力にあふれていた。
心の闇の奥に眠る真実の痛みは、エド自身すら気付かぬほどひっそりと透明な雫を一滴、眠るその横顔に流れて消える。
ねぇ、本当に、罪深いのは 誰………………?
2006/04/14 脱稿
Sawada Yukari Presents.
何かこう、中途半端になった気がしないでもないんですが、これ以上書き続けるとそれこそ迷宮入りしそうなほど泥沼になりそうなので(苦笑)ここで終了です。
初めに頭に湧いたネタとは微妙にズレたとこもあるんですが、まぁ大まかなところは変わってないんで、これでいいか…(おい)
もう余りに暗くておかしい話なので、書いてる本人が1番凹んでました(笑)
なので色々とツッコミどこ満載なのは、大目に見て頂けると幸いです〜(願)
こんな変な話ではありますが、最後まで見て下さった貴方に心からの感謝をvv
有難うございました〜vvv |
 
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